ツツジの上部が枯れるのは、
根が弱って水分や養分が行き渡らないから。
根本の土が固くなり、水はけが悪くジメジメし、
土の中の空気がなくなってきた時、
ツツジは根腐れをおこして衰え枯れてしまう。
植物は、葉で二酸化炭素を吸って酸素と水を作り
根で酸素と水を吸い上げる。
根は土の隙間や土の粒の中にたまった水を吸い上げ、
水がはけた後にできる隙間から酸素を吸収するのだ。
根が冠水した場合、土壌の間隙は水で満たされ、
根の表面全体が水と直接接することになる。
水に溶解している酸素を吸収することはできるが、
根表面に接する水の酸素濃度はすぐに低下する。
酸素が吸えないと、窒息状態になり株が衰える。
ゼニゴケは土に蓋をしてしまうため、
土に酸素が入らなくなる。
会話の基本は、
それにより相手を気分よくさせることで、
自己満足に浸ることではありません。
(野村正樹)
リンレイのテレビコマーシャルにイカが出てくる。
なぜイカなのか?と疑問に思う人も多いだろう。
リンレイで「ピーイカピカ」だからイカなのである。
芝生の除草剤はシバゲンDFがいいらしい。
(効果発現のメカニズムと残効性)
・分岐アミノ酸の合成阻害
↓
・タンパク質の合成阻害
↓
・細胞分裂阻害・細胞内代謝の異常
↓
・枯死
- シバゲンの有効成分フラザスルフロンは茎葉および根部から吸収され、植物特有の分岐アミノ酸(バリン、ロイシン、イソロイシン)の生成を司るアセトラクテート合成酵素(ALS)を阻害することによって殺草作用を発揮します。
- 効果の発現は、生育が停止し、次いで成長点部位が退色、黄化します。すでに展開していた茎葉部も次第に退色・黄化が進み、やがて個体全体が壊死に至ります。効果発現には1週間程度、完全枯殺するには春夏期で20~30日、秋冬期で30~40日を要します。
(石原バイオサイエンス株式会社 シバゲンDF)
料理・掃除・洗濯がひと通りできるようになった。
いまだやったことのないのが縫い物だ。
ちょっとした縫い物ができたら便利だろう。
パジャマのズボンのゴムひもが緩んだので、
さっそく自分でゴムひもを詰めてみることにした。
幅2cmほどのゴムひもを短く切って、
針と糸でつなぎ合わせた。
やり方はでたらめだが、つなぐことができた。
さっそくズボンをはいてみると何だか変だ。
ゴムひもがよじれている。
まさかの失敗であった。
・グリルを余熱しておく
・鶏肉の身の面を強火で10分焼く
・鶏肉の皮の面を強火で5分焼く
・グリルを強火にして、皮目を6分焼く
・裏返して4分焼く
全部で10分。
めんつゆを薄めるときに、
水ではなく、出汁でうすめると
おいしくなるらしい。
かえし
醤油 10
本みりん 3
砂糖 3
ざるそば:出汁3+かえし1
かけそば:出汁6+かえし1
服の上から蚊に刺されるので、
ポロシャツの下に肌着を着てみた。
素晴らしい効果だった。
まったく刺されない。
蚊がたかっても針が届かないのだろう。
草むしりをしていると、
服の上から蚊に刺される。
背中やわき腹を何か所も刺されたら、
かゆくてとてもやっていられない。
重ね着がいいようだ。
長さ2mmの蚊の針は、重ね着に弱いらしい。
自粛していたテニスを再開した。
3か月ぶりのプレイである。
翌日から体のあちらこちらが痛い。
いつも使わない筋肉を使うからだろう。
それにしたって、テニスは楽しい。
忘れかけていたテニスの楽しさを思い出した。
午後に菓子を食べないだけで、
少しずつ体重を減らし、
ついに標準体重にタッチすることができた。
このペースを維持すれば、
移動平均もついてくるだろう。
問題は正月だ。
正月は毎年極端に体重が増える。
正月に体重をコントロールできれば完璧だ。
醤油 5
砂糖 3
みりん 1
酒 1
鍋で煮詰める。
ガスレンジについている魚焼きグリル。
使った後の片付けが面倒で敬遠していたが、
使ってみるとやはりおいしく焼ける。
焼き魚はもちろん、鶏肉を焼いても、
フライパンで焼くのとは味が違う。
魚焼きグリルの達人を目指そうかな。
モラクセラ菌による洗濯ものの嫌な臭いは、
乾かしたあとは臭わないのに
しばらくしてから臭うことがある。
これを戻り臭という。
モラクセラ菌は汗をかいたり、
雨に濡れたりして水分と皮脂の量が増えると、
その水分とともに揮散して臭いを発生させる。
モラクセラ菌は、乾燥や紫外線に強いが、
熱には弱い。
電車の線路をまたぐ跨線橋(こせんきょう)で、
走って来る電車に向かって、
小さな子供とお母さんが、全力で手を振っていた。
電車がいよいよ橋の下をくぐろうとするとき、
「パーン」と警笛が鳴った。
手を振る子供とお母さんに応えて
鳴らしてくれたのだ。
おじさんの私が手を振っても
鳴らしてくれるだろうか。
仮に鳴らしてくれたとしても嫌々だろう。
手を振るのはやめておこう。
将棋で最善手を見つけることは、
本当に大変なことです。
しかし、最善手を見つけることも大切ですが、
それよりももっと大切なのが
悪手をささないことです。
だから、悪手でない道なら、
端でも真ん中でも、
どこを歩いてもよいのです。
(米長邦雄)