アナリティクス

2009年9月27日日曜日

詩人の精神

詩人の精神というものは、
創作の用意がすっかりととのっている場合には、
いつでも別々の離れた経験を合わせて一つにするが、
ふつうの人間の経験は
ごたごたでしまりがなくてばらばらである。
ふつうの人が恋をしたりスピノザを読んだりする場合、
この二つの経験はたがいに何のかかわりもないし、
またタイプライターの音や料理のにおいとも関係がない。
だが詩人の精神の中ではこういう経験が
いつも新しい全体を形成しているのだ。

(T.S.エリオット 形而上詩人)

2009年9月26日土曜日

キング牧師

私には夢がある。
いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、
かつての奴隷の子どもたちと、
かつての奴隷主の子どもたちとが、
いっしょに腰を下ろし、
兄弟として同じテーブルにつくときがくるであろう。……

私には夢がある。
いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが、
肌の色によってではなく、
人となりそのものによって人間的評価がされる国に
生きるときがくるであろう。

(キング牧師 1963年演説)

2009年9月22日火曜日

秘すれば花

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
この分け目を知る事、肝要の花なり。
そもそも、一切の事、諸道芸において、
その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。
しかれば、秘事ということを顕はせば、
させる事にてもなきものなり。
これをさせる事にてもなしと云う人は、
未だ、秘事と云う事の大用を知らぬが故なり。

(世阿弥 風姿家伝)

*させる事にてもなき=大した事がない

2009年9月7日月曜日

マザー・テレサ

私は自分の心の中に、
死にゆく人々の最後のまなざしを
いつも留めています。
そして私は、
この世で役立たずのように見えた人々が、
その最も大切な瞬間、死を迎える時に、
愛されたと感じながら、
この世を去ることができるためなら、
何でもしたいと思っているのです。

(マザー・テレサ 愛と祈りのことば)

2009年9月6日日曜日

読書の楽しみ(小林秀雄)

読書の楽しみ  本は、若い頃から好きで、夢中になって読んだ本もずい分多いが、今日となっては、本ももう私を夢中にさせるわけにはいかなくなった。新しい本を読み漁るという事もなくなり、以前読んだものを、漫然と読み返すという事が多くなった。しかしそういう事になって、却って読書の楽しみというものが、はっきり自覚できるようになったと思っている。

往年の烈しい知識欲や好奇心を思い描いてみると、それは、自分と書物との間に介在した余計なもののように感じられる。それが取り除かれて、書物との直かな、尋常で、自由な附合の道が開けたような気がしている。書物という伴侶、これが、以前はよく解らなかった。私は、依然として、書物を自分流にしか読まないが、その自分流に読むという事が、相手の意外な返答を期待して、 書物に話しかける、という気味合いのものになったのである。

(小林秀雄 新潮文庫の100冊 -いま、きみだけが持つ時間-)