花を花としてーーというより、「存在」を花としてーー
われわれに見せるものは、
本来絶対的無限定者、絶対無分節者である「存在」を
分節して限定する「限界線」である、とイブン・アラビーはいう。
「限界線」は構造的には、ヴェーンダーンタでブラフマンを
「名と形」的に現象させる「限定者」に当たるもので、
この「限界線」を意味するアラビア語が、
そのままイスラーム哲学では「定義」を意味する術後であることは、
注目に値する。
もともと、「定義」とは事物の「本質」を言語的に明示したものであり、
従ってここで「限界線」と呼ばれるものは、すなわち「本質」を意味する。
「意識と本質」(井筒俊彦)より