「理想とはなんでもない。
いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して
与えたる答案に過ぎんのであります」
「意識の内容のいかんと、この連続の順序のいかんと
二つに分かれて問題は提起される訳であります。
これを合すれば、いかなる内容の意識を
いかなる順番に連続させるかの問題に帰着します。
そうしてこの問題の裏面には選択と云う事が
含まれております。
ある程度の自由がない以上は、
また幾分か選択の余地がないならば
この問題の出ようはずがない。
この問題が出るのはこの問題が一通り以上に
解決され得るからである。
この解決の標準を理想というのであります」
1) 感覚物そのものに対する情緒(美的理想)
2) 感覚物を通じて知、情、意の3作用が働く場合
(い)知の働く場合(真に対する理想)
中のよかった夫婦が飢饉のときに、妻の食うべき粥を食う
(ろ)情の働く場合(愛、道義に対する理想)
嫁に行きながら他の男を慕ってみたり
(は)意思の働く場合(荘厳に対する理想)
願わくば七たび人間に生まれて朝敵をほろぼさん
「たとえば一線の引き方でも、
勢いがあって画家の意思に対する理想を示す事もできますし、
曲がり具合が美に対する理想をあらわす事もできますし、
また明瞭で太い細いの関係が明らかで知的な意味も含んでおりましょうし、
あるいは婉約の情、温厚な感を蓄える事もありましょう」
「我々は意識の連続を希望します。
連続の方法と意識の内容の変化とが
吾人に選択の範囲を与えます。
その範囲が理想を与えます。
そうしてこの理想を実現するのを、
人生に触れると申します。
これ以外に人生に触れたくても触れられよう訳がありません。
そうしてこの理想は、真、美、善、荘の4種に分けられますからして、
この4種の理想を実現しえる人は、
同等の人生に触れた人であります」
「閑人と云うのは世の中に貢献する事のできない人を云うのです。
いかに生きてしかるべきかの解釈を与えて、
平民に生存の意義を教える事のできない人を云うのです」
「しかしこれだけ大胆に閑人じゃないと主張するためには、
主張するだけの確信がなければなりません。
言葉を換えて云うといかにして活きべきかの問題を解釈して、
誰が何と云っても、自分の理想の方が、ずっと高いから、
ちっとも動かない、驚かない、何だ人生の意義も理想もわからぬくせに、
生意気云うなと超然と構えるだけに腹ができていなければなりません」
「あの男は腹の中がかたまっておらん。
理想が生煮えだ、という弱点が書物の上に
見え透くように写っている、
したがっていかにも意気地がない。
いくら技巧があったって、これじゃ人を引きつけることもできん、
いわんや感化をであります。
またいわんや還元的感化をであります」
「要するに我々に必要なのは理想である。
理想は文に存するものでもない、
絵に存するものでもない、
理想を有している人間に付いているものである」
(夏目漱石「文芸の哲学的基礎」から引用)