詩人の精神というものは、
創作の用意がすっかりととのっている場合には、
いつでも別々の離れた経験を合わせて一つにするが、
ふつうの人間の経験は
ごたごたでしまりがなくてばらばらである。
ふつうの人が恋をしたりスピノザを読んだりする場合、
この二つの経験はたがいに何のかかわりもないし、
またタイプライターの音や料理のにおいとも関係がない。
だが詩人の精神の中ではこういう経験が
いつも新しい全体を形成しているのだ。
(T.S.エリオット 形而上詩人)
アナリティクス
2009年9月26日土曜日
2009年9月22日火曜日
2009年9月7日月曜日
2009年9月6日日曜日
読書の楽しみ(小林秀雄)
読書の楽しみ
本は、若い頃から好きで、夢中になって読んだ本もずい分多いが、今日となっては、本ももう私を夢中にさせるわけにはいかなくなった。新しい本を読み漁るという事もなくなり、以前読んだものを、漫然と読み返すという事が多くなった。しかしそういう事になって、却って読書の楽しみというものが、はっきり自覚できるようになったと思っている。
(小林秀雄 新潮文庫の100冊 -いま、きみだけが持つ時間-)
往年の烈しい知識欲や好奇心を思い描いてみると、それは、自分と書物との間に介在した余計なもののように感じられる。それが取り除かれて、書物との直かな、尋常で、自由な附合の道が開けたような気がしている。書物という伴侶、これが、以前はよく解らなかった。私は、依然として、書物を自分流にしか読まないが、その自分流に読むという事が、相手の意外な返答を期待して、
書物に話しかける、という気味合いのものになったのである。
(小林秀雄 新潮文庫の100冊 -いま、きみだけが持つ時間-)
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